海士診療所

榊原 均

Sakakibara Hitoshi

1994年10月より海士診療所勤務
1998年10月より所長就任
2024年3月にて所長退任

医師でもあり、共に生きる友人でもある

ここでは患者と医者という隔たり、病院と医療福祉という隔たりがなくて、家族みたいな関係がつくられています。患者が亡くなるということをクールにとらえていた時期もありましたが、いまは親戚や友だちが亡くなるようで、辛いです。

平成6年(1994年)10月に海士町に戻ってきました。出身は、海士町です。父がここで小さな診療所をやっていて、当時はそんな診療所が3つあった。医師が高齢化してきたのを機に、3つの診療所が統合し、新しい医師を迎えようというところへ、わたしが戻ってきたわけです。そうか、もう四半世紀も前の話になるのか。

それまでは、大学病院で小児科オンリーの医師でしたからね。こっちに来たばかりの頃は、痛みを訴える患者さんが多くて、その接し方も全くわからなかった。そういう意味では、町のみなさんに育ててもらいました。

野菜をもらったり、葬儀に案内されたり、どこまでが医師の仕事で、どこまでが私生活かなんて、線引きはできません。今朝も、ガソリン入れに行ったらスタンドのおじちゃんが「先生、ここ診てくれねえか?」って窓越しにズボンを下ろして訴えてきました。膿瘍ができていたから切開だねと言ったら、「今日は看護師が女性ばかりだから、恥ずかしいなあ」なんて言うから、男性看護師もいるから16時に来なさいって言って、さっき切開してきたの。ガソリンスタンドのおっちゃんなのか、患者なのか、よくわからなくなるでしょう?

みんなで一緒に看る

小さな島での医療で、いつも「猫の手も借りたい」状態。いろんなところと連携しないとまわっていきません。行政・医療・福祉が一緒になって月に2回「地域ケア会議」というものを行っています。全国でもこの連携を取り入れたのは、早かったんじゃないかな。「勉強になるよ」と勝手にチームをつくったと言ったほうがいいかもしれないけれど。そのおかげか、歯科衛生士が看護師やヘルパーの手伝いで、清拭やおむつ交換をするということも起こるようになった。自分らだけでは、手がまわらないので、専門外の人も集めて情報を共有するんです。そうすると、患者のちょっとした変化に気づきやすくなる。

うちは「ターミナルケア」と呼ばれる、がん患者に対する看取り医療に力を入れています。末期がんの患者に歯科衛生士が口腔ケアをすると「口の中がきれいになった」と嬉しそうに話して最期を迎える方も。医療部門だけではどうにもならないことを、いろんなスペシャリストが力を発揮してくれる。「離島の在宅医療で看取る」なんて言うと聞こえはいいかもしれませんが、ここの在宅は甘くないです。死を間近にした人を前にするわけだから、人間関係をつくらないとできない。満足した症例はひとつもないです。

「この人、俺が看なければ、もうちょっと長生きできたかもしれないな」といつも思います。総合病院のいろんな設備があり、スタッフも揃ったところで、1〜2週間は長生きしたかもしれない。だけど、この人はそれが叶ったとして、喜んだだろうか? 命の重さと長さについて考えずにはおれません。ほんとうはあの世で、自分のことを怒ってるかもしれない、なんて。亡くなった後も、我々はずーっと引きずっているわけです。

ターミナルケアになると、毎日往診に行きます。在宅に帰ってきてから医療が届かなくなったなんて嫌なので。医療的に伝えられる情報はなるべく家族に渡したいと考えています。毎日診ていないと、「あと1日」とか「午前中もつか」といった家族に覚悟をしてもらう時間を予告できなくなってしまう。そのために家族にも、ケアの方法や最期を迎える家族に接するための教育を行っています。それもケースバイケースで、ひとつひとつ違うんです。

あるご家族は、深夜になっても寝られないお父さんに、「じゃあ寝なきゃいいじゃん!」と、ひょっとこのお面をつけて家族で踊ったそうです。1時間やってそれでも寝れないっていうときに、初めて看護師に連絡が来た。慣れてくると、家族も患者に対して何かしらの手段を講じられるんですよね。そうやって家族と医療、ヘルパーみんなで看取ることが、ここでの在宅医療・ターミナルケアだと思っています。

海士診療所の仕事

ここにいる看護師たちは、手術のサポートはできません。けれど、子どもの浣腸・採血・点滴から100歳の高齢者の看取りまで、広く対応する力をもった人たちがいます。薬の名前も全部知っているし、道端で倒れた人に応急措置することだってできる。医師も看護師も「生活」に近い医療のスペシャリストたちです。在宅医療も当たり前のこととしてやっています。

過疎の地域の医療ほど、満足しちゃうと駄目だと思う。だからこれをやろうと目標をもって、それに近づいていくようにしています。止まってしまうと人もいなくなって、機械も使える人がいなくなるなんて、一番恐ろしいことですからね。行政に要求することを常に心がけています。

今度はリハビリ室と眼科の診察室が新しくできますが、その後は、事務室の壁を取り払い患者に事務員が仕事をしているところを見てもらおうと考えています。診療所も土足で上がれるようにするつもりです。

田舎でのんびりお医者さん……は、ないですね。まだやりたいことがたくさんあります。