移住組と地元組

— みなさんはどのような経緯で海士診療所に?

中野2016年に千葉県からここ海士町に来ました。わたしの場合は、たまたま海士町だったという感じです。千葉の病院で看護師を4年半くらいしていたんですが、激務でした。定時を4、5時間過ぎても帰れない日が続いたり。もちろん経済はよかったんですが、わたしにはそれだけを目的に働くことができなかった。千葉の病院を辞めて、出かけた旅行先で知り合った方が海士町の出身で、診療所を紹介してくれたのがきっかけです。島根県にもほとんど来たことがなかったんですけどね。

上谷わたしは大阪育ちですが、もともと親が海士町の出身だったので、高校でこっちに帰ってきました。それからは島根県松江市などで看護師として働いて、5年前からここで働かせてもらっています。

柏谷海士町出身です。松江市に長く住んでいましたが、2017年に戻ってきました。たまたま事務の求人があったので、戻って働いています。こちらは人間関係が密なので、まずは人と名前が一致しないと仕事がしづらい。親戚関係なんかも把握していないといけないので、慣れるまでは大変でしたね。

福田2018年に大阪から来ました。主に口や脳に関係するリハビリを行う言語聴覚士をしています。これまでは大阪の病院で働いていたので、ここに来て環境ががらりと変わりました。こっちでは、住んでいる地区だけでなく、家の場所まで訊かれます。「玄関まで特定するの?」という感じで(笑)。その家々の屋号もあるので、まずは覚えることから。海士弁も勉強中です。

前田2008年に鹿児島から来ました。最初は、海士町役場の保健師として働きました。地域に出かけていく仕事だったので、地域の方に受け入れられるまでは必死でしたね。現在は診療所で看護師として働いています。ここでは、移住して10年以上の人も多いんじゃないかな?

木綿長い人は長いけど、短い人は短いよ……。わたしは海士町出身です。ここのメンバーのなかでは一番長いですね。移住してきた人には気を使います。受け入れを拒むような言い方にならないようにとか、海士弁はわかりにくいから使わないようにしようとか。心を開くまでに長くかかりますけど、関係ができればとことん信頼する。そういう土地柄です。

命との向き合い方

— 患者さんの死をどのように受け止めていますか?

福田大阪の病院に勤めていた頃の話ですけど、当時パーキンソン病の患者さんの口腔ケアを担当していました。その方の奥さんも含めた3人の関係性ができていたんですが、誤嚥(ごえん)による肺炎で亡くなったんです。つい、3日前まで3人で楽しく話していたのに、です。言語聴覚士になって1年目のことでした。その後、奥さんは会いに来てくれていたんですが、わたしは怖くて逃げてました。「忙しい」って言って。そうしたら、手紙をくださって。「急に亡くなったのはショックだったけど、そういう病気です。3日前まで笑って過ごせたことがすごくよかったです」とお礼の言葉をくださいました。関わり方はもしかしたら言語聴覚士の仕事の枠とずれているかもしれないけれど、人として関われることがあったらさせてもらおうと思うきっかけとなる出来事でした。

中野患者さんの死は、千葉の病院とはとらえ方が全然違いますね。それまでだって、関わりあった人が亡くなるのは悲しい。ですが、葬儀屋さんが来るまでの30分の間に決まった業務を淡々とこなしていく感じでした。死後の処置も葬儀屋の方がするので、点滴を抜くくらいで、御遺体に触れることもないんです。ご家族の方にも、お別れをしたり悲しんだりする時間をもってもらいたかったけれど、そういう時間はとれませんでした。

そして、それを「しょうがないな」って当たり前のこととして働いていました。海士町に来てからは、亡くなられた方の体を拭いて、着物を着せて、お化粧をしてという一連のケアを全部するんです。3時間くらいかかるときもあります。亡くなった方に対する気持ち、向き合い方が全然違うなと思って。ただ、よそから来ているので、関わり方に悩むこともあります。亡くなった方に対する気持ちの込め方を、先輩方の接し方や話し方を見て勉強しています。

上谷わたしは昔っから本当にダメなんです……死と向き合うのが。大きい病院のほうが気持ちが楽というか。その病院でもずっと泣いとるくらいでしたが。こっちは親の同級生とか、知ってる人が患者としてやってくる。もうそういうのを考えただけで嫌です……。だから、採血ひとつとっても、友達や自分の同級生に対して対応するという距離感。都会ではありえないですよね。なるべく当たりたくないと思ってます。

— そういうときにどうアドバイスしますか?

木綿それはもう経験しかないですね。子どもの頃から知っている方が亡くなったら、感情が入りすぎる。わたしも若い頃はそうだったし。回数を重ねて自分の感情をコントロールできるようにならないと、やっていけないと思うんです。その人の人生をふりかえるためにも、自分の心をおさえるためにも、仕事としての死亡処置をしっかりとする。あとは帰ってから気持ちを整えます。

上谷どうやって気持ちの整理をするんですか?

木綿家に帰って、子どもに話しちゃうんだわ。もちろん個人情報もあるから、お名前は出さないけど、「小さい頃にお世話になった人が亡くなってね」って。悲しみを共有してもらう。娘から「お母さん、がんばったね」って言われると、よし! って気持ちが整うというか。娘は今高校生で看護師を目指しているから、いろいろと経験を話すようにしていて。あとは同僚にも聞いてもらって、一人でためこまないようにしています。そりゃあ、地元の方が亡くなると感情が入りすぎて、ガクーンって気持ちが落ちてしまうこともありますよ。でもその人がわたしがこんな風に落ち込むのを求めていないだろうなって。お互いによく知っているから「らしくないだろ」って言うだろうなって思って、明日に向き合います。

前田僕の場合は、ちょっと違くて。役場で働いていた頃は、お世話になった人が亡くなったことを死亡届がまわってきて初めて知る、ということが多かったんです。親しい人が亡くなる悲しみもありつつ、紙切れ一枚でことが流れていく複雑な気持ちでした。診療所に来てからは、実際に亡くなる現場にも携わるようになって、紙切れ一枚のショックよりは多少受け入れられるようになっているかもしれません。最期まで関われることが、嬉しいって言ったら変ですけど。

柏谷仕事としては、先生の書いた死亡診断書をスキャンしてカルテに貼ったり、亡くなった後の医療費の精算をしたりしています。 わたしは家族の死にも立ち会ったことがなくて、診療所がどんなところかもよく分からなくて帰ってきたので、緊急な事態に突如なったり、救急病院のような緊迫した体制になることに最初は驚いていました。ただ、患者さんと顔見知りになってくると、調子の悪い方は事務のほうでもなんとなくわかったりします。そういう意味でも、スムーズな流れを作って、先生や看護師のサポートをしっかりやりたいと思っています。

— ありがとうございました!

座談会
参加メンバーの紹介

  • 中野知香
    看護師

    中野知香

    2016年に千葉県から移住。海士診療所のことは、旅先で知り合った友人から教えてもらったという縁の持ち主。

  • 上谷真弓
    看護師

    上谷真弓

    高校時代を海士町で過ごす。笑顔がチャーミングな診療所のムードメーカー。

  • 柏谷美香
    事務員

    柏谷美香

    海士町出身。2017年に島根県松江市から戻ってきたUターン組。患者さんと最初に接する、受付の役割を担う。

  • 福田裕子
    言語聴覚士

    福田裕子

    2018年に大阪から移住。マイブームは、昼休みにお手製のホットサンドを作ること。

  • 前田拓郎
    看護師

    前田拓郎

    2008年に鹿児島から移住。「小さなことでも頼まれたら断らない」がモットーの、診療所の頼れる存在。

  • 木綿絵美
    看護師

    木綿絵美

    海士町出身。座談会メンバーの中では一番海士診療所歴が長く、いつも周りに笑いの絶えない皆の先輩的存在。